特集レポート

【首都高の歴史】2007-11-01

首都高の歴史(3)
~愛されるシンボルの登場~

 数々の路線が延線・開通した前回の昭和後期に続き、今回は元号も変わり新時代へ入った平成初期の歴史を追ってみよう。バブル経済が崩壊し、稀にみる不景気時代に突入していった頃、首都高の路線はどのように拡張していったのだろうか。

たった6年間で9つの路線を開通・延線

 数々の建設ラッシュを経て、昭和の時代が終わりを告げる頃には、交通量も莫大に膨れ上がった首都高速道路。しかし、平成という時代に入り、未曾有の不景気にあっても、首都高はその歩みを止めることはなかった。ネットワーク網をより強固にすべく、新規路線や既存の路線の延線が進められていたのである。

新しく開通・延線した路線を供用順に挙げてみると

■平成元年9月:横浜高速湾岸線開通
横浜市中区本牧ふ頭~同鶴見区生麦2丁目までの7.4キロメートル

■平成元年9月:横浜羽田空港線延線(2期)
横浜市中区新山下3丁目~同1丁目までの1.7キロメートル

■平成2年3月:横浜高速2号線開通
横浜市中区山下町~同保土ヶ谷区狩場町までの7.7キロメートル

■平成2年11月:5号線延線(2期)
板橋区高島平4丁目~同6丁目までの1.1キロメートル

■平成2年11月:板橋戸田線開通
板橋区高島平6丁目~戸田市早瀬2丁目までの1.5キロメートル

■平成5年5月:11号台場線開通
港区海岸2丁目~江東区有明2丁目までの5.0キロメートル

■平成5年9月:湾岸線延線(3期)
大田区羽田空港3丁目~同東海3丁目までの4.2キロメートル

■平成5年10月:板橋戸田線延線
戸田市早瀬1丁目~同美女木6丁目までの2.2キロメートル

■平成6年12月:湾岸線延線(4期)
大田区羽田空港3丁目~横浜市鶴見区大黒ふ頭までの16.4キロメートル

たった数年の間に、これだけの多くの路線が開通・延線した。ただ、路線の総延長は29キロメートルなので、これまでに比べ距離的にはやや短めだが、この中には今や多くの人が集まるスポットにもなっている、首都高のシンボルとも言える建造物が含まれている。

巨大な首都高のシンボルが相次いで登場

 そのシンボルとは、以前「首都高を撮る」の中で紹介したこともある長大橋、「横浜ベイブリッジ」「レインボーブリッジ」「鶴見つばさ橋」。開通順に話をすると、横浜ベイブリッジは横浜高速湾岸線の一部として平成元年に開通。橋の長さは860メートルで、総鋼重は約54,300トン。これらを主塔から扇状に張られるケーブルで支える吊り橋方式をとっており、主塔の高さは海面上に出ている部分だけで175メートルにも及ぶ。また、展望台までの遊歩道「横浜スカイウォーク」や、夜間のライトアップなど、見せるための工夫も数多くなされ、横浜の観光スポットの一つとして完全に定着した。

 開通以来、多くの若者のデートスポットとして人気を集めるレインボーブリッジは、着工から6年半の月日を経て平成5年8月に開通。横浜ベイブリッジ同様、吊り橋方式をとるこの橋は、地盤などにさまざまな問題を抱えていたが、無人の掘削機を導入するなどして長大橋としては異例の早さで開通にこぎ着けている。構造は上下2層に分かれ、上が高速道路、下は一般道とゆりかもめが走る。また、一般道の横には歩道が併設されており、歩いて渡ることも可能。ちなみにレインボーブリッジという名称は、約2万通の一般公募から選ばれたもの。正式名称は「首都高速道路11号台場線 東京港連絡橋」という。

 この期間で最後に開通したのが、湾岸線を走る鶴見つばさ橋。一面吊りの斜張橋(吊り橋)としては世界一の長さを誇るこの橋の全長は、1,020メートル。これだけの長さの吊り橋では、問題となるのは風。安全面の確保のため風洞実験で検証をおこない、建設を進めた。しかもその実験では、一般道用の橋を建設する時のことも見据え、2つの橋の相互干渉も考慮して研究していたというから驚きだ。事実、将来は国道357号線が同じ形式で併設される予定だという。

 これら3つの橋は、言うなれば路線の一部に過ぎない。しかし、その構造や形状、美しさに惹かれる人が多く、今やランドマーク的な存在となっている。そしてこれら首都高のシンボルがこの時期に相次いで完成していることも興味深い。不景気の真っ只中で先の見えない世の中で、こうした開通が明るいニュースになっていたのかもしれない。

短期間で効果が得られる渋滞解消法とは?

 さて、今までお伝えしてきたような路線の開通や延線は、ネットワーク網を充実させると共に、渋滞軽減に向けての大きな一歩として進められた。新たな路線の開通や延線の効果は非常に大きく、今年12月22日に開通する中央環状新宿線(5号池袋線~4号新宿線)も同じことが言える。たった6.7キロメートルの道路が開通するだけで、首都高全体の渋滞が2割減少するというのだから、その効果は絶大だ。

 しかし、難点はその一歩を踏み出すまでに時間がかかるという点にある。前述の中央環状新宿線の予算採択がなされたのは、なんと昭和62年のこと。その時から数えれば、開通までに要した時間は20年以上。効果は大きいものの、それまでに膨大な時間がかかることは否めない。

 そんなゆっくりとした大股の一歩に対し、比較的短時間で効果を生み出す、小さな一歩も踏み出されていた。その方法とは、渋滞のボトルネックとなる箇所を探り出し、ピンポイントで対処すること。平成の始めには、すでに以下のような取り組みが行われていた。

■平成3年1月:都心環状線外回り 宝町付近
1車線拡幅し、江戸橋~浜崎橋JCT間を3車線化

■平成3年3月:羽田線上り 羽田トンネル付近
羽田入口からの合流をトンネル先に移すため1車線増設

■平成3年7月:横羽線下り 浅田入口
浅田入口合流部を拡幅

■平成3年8月:横羽線下り 大師出口
大師出口からの渋滞緩和のため1ブース増設

■平成4年3月:7号線上り 錦糸町出口
錦糸町からの渋滞緩和のため1ブース増設

■平成5年12月:6号線上り 箱崎付近
1車線拡幅し、江戸橋~箱崎JCT間を4車線化

■平成6年4月:湾岸線西行き 本牧出口
街路への車線増でベイブリッジ方面からの渋滞緩和

■平成6年11月:4号線上り 新宿出口
高井戸方面から新宿副都心方面への出口を新設

■平成6年11月:狩場線上り 狩場料金所
渋滞緩和のため1ブース増設

■平成6年12月:湾岸線東行き 大井料金所
湾岸線3期、4期供用に対応するため1ブース増設

 これらのように、車線の拡幅や増設、料金所のブース増設などを中心に数多くの改良が施なされている。路線の開通・延線に比べれば効果は小さいが、ピンポイントで行うことで一定の効果が得られ、かつ短時間で行えることが大きなメリット。平成の初頭から始まったこの手法は、今現在も着々と進められている。その点を意識しながら首都高を走ると、以前とは違った箇所を発見できるかもしれない。きっとその周辺では、渋滞や車の流れにも変化がでていることだろう。

まとめ

 期間的には短いとも言える今回の平成初期。しかし首都高のシンボルが相次いで登場したり、渋滞対策の新たな手法が採られたりと、その内容は非常に濃い。そしてこの時代を俯瞰してみると、あることに気づく。路線の開通や延線では、神奈川や埼玉といった首都圏へのアクセス網がより強固になっているのだ。この頃の首都高は、まさに首都圏交通網の核となる存在へと変貌を遂げた時期と言えるだろう。


首都高の歴史(4) ~ネットワークの充実に向けて~

首都高の歴史(2) ~数々の路線が開通した高度成長期~

首都高の歴史(1) ~首都高はどうやって生まれたの?~

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