連載
Vol.2「首都高が馬場になった日」
~1996年1月25日~
いつも、じっと車の重みに耐えている寡黙な首都高さんですが、実はとても人 間のことをよく知っています。なにしろ、45年24時間片時も休まず、道の上で起こったいろいろな“事件”を見上げてきたのですから。このコラムは、その中でオモシロイできごとや興味深いできごとを拾います。そして、首都高さんの1学年先輩!?である石黒謙吾が、現場レポートよろしく事件を検証! ただし、カジュアルかつ無責任かつゆるーくですけど。
朝日新聞 1996年2月3日夕刊 付
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北海道で生まれて数カ月前に大井競馬場に来た彼女は、競馬馬としてのデビューを間近に控え、馬房でのんびりと暮らしていました。日々、ちょっと先に美しく伸びている首都高を見ながら、「海からの風を受けてあそこを走ったら、ちょー気持ちイイだろうな~」と、スーパー乙女心を揺らしていたに違いありません。そして真冬の1月25日、彼女はついに馬房を飛び出します。まず足慣らしに競馬場を3分の2周すると、競馬場前の一般道へ出てさらに、おお! なんと平和島入口から首都高に入っていったのです。さすが、初めてレースに出た時、「首都高爆走娘」という横断幕が出ただけある、バリバリ全開の気合いです。
ETCだったら飛越大障害競争さながら華麗に跳んだかもしれませんが、まだない頃ですから、料金所を通ったわけですね。料金所のおじさんが「はいどうどう」と言ったかどうかは知りませんが、まあとにかく通過した。顔の位置が高すぎて馬とは気付かず、「あ、この茶色い車、変わった形だな~」と思っているうちに、さっと蹄めがけてチケットを渡したのかもわかりませんね。あ、本当は必死に追っかけたらしいですが。
首都高さんとしては、モニターに「馬が映った!」ってことで110番通報。パトカー4台が出動する大捕り物となりますが、スーパーオトメ嬢は「うぜえんだよ」とばかり軽快に高速道路上をトコトコと走る。1号線を羽田空港方向に走って、2200m行ったところでやっと、張られたロープによって止まり取り押さえられました。
上の写真は大井競馬場にてレースを観戦する石黒氏競馬のコースは「芝」か、砂主体の「ダート」。地方競馬は、盛岡競馬場に芝コースがある以外は、すべてダート。そしてこの日行われた「第1回 首都高ステークス」は競馬史上唯一、「コンクリート」コースだったんですね。それから、馬場状態は、雨が染み込んでいるかどうかで「良」「やや重」「重」「不良」の4種類で表しますが、この日はさしづめ「バリ固」というところですか。
さてその騒動から9日後の、2月3日。スーパーオトメはレースデビューします。結果は5着でしたが、話題性から断然の一番人気。テレビ番組多数をはじめとして集まった報道陣が130人とも200人とも言われる一大事でした。さらに、大きく報道されたことで、交通安全のお守りになったり、帽子も発売されたりと、直後の人気はすごかったのを僕も覚えています。
爆走娘も、競走馬としてはいまいち花開かず、デビューから2年弱で引退するまで、21戦して1勝、獲得賞金305万円。とりたてて活躍したわけではないのに、JRAが実施した「20世紀の名馬」キャンペーンで、名馬に混じり468位に選ばれました。
そしてネタはさらに10年後に続いていくのです。2006年11月22日、熊本県・荒尾競馬場で、繁殖牝馬となったスーパーオトメの息子がデビューしました。名前は、「ハシルコウソクドウ」!!!1年経っていてまだ1勝(注)ですが、どうせなら、「第2回 首都高ステークス」に出走すれば、血統的に2勝目間違いないと思うけど。
(注)2007年12月調べ
http://www.blueorange.co.jp
映画化もされた『盲導犬クイールの一生』から、『ダジャレ ヌーヴォー』『図解でユカイ』『cq判定 常識力テスト』『ベルギービール大全』などカルチャー路線まで著書多数。最新刊で初の短編小説集『犬がいたから』(集英社)が好評。
[次回の予告] 首都高に2900人の人が走り抜けていった!?
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